Tuesday, January 30, 2007

感謝というモチベーション

一瞬、メールアカウントのコンタクトリストを消失して、何を書くか忘れました。そして思い出しました。私だいたいブログに書きたい事って、電車の中とか、道を歩いている最中とか、お茶飲んでるときとかに思いつくから、すぐにメモしないと忘れてしまう事多々。今から書く事もぼんやり考えていたこと


先日、後輩にインタビュー記事を書いてと頼まれて、私の留学の動機から、就職するにいたるまでの経過をこまごまと書いていて、ふと昔のことを思い出したのです。ちょうどアメリカに留学する事を決めるとき、過去のブログでも何回か書いていますが、小学校からの男友達が事故で死んだということがありました。当時は、すごく言葉にならないショックで、「このショックは時間が経っても色あせさせない。」と誓うくらいショックでした。


それからもうすぐ8年。
アメリカに来て7年目。もちろん彼が死んだ事は毎日考える事はなくなったし、ショックというよりは、懐かしいといったら間違いだけど、「ありがたい」という気持ちが上回っていることに気がついたのです。当時はもちろん近くで死んだ人なんてそれまでいなくて、「死ぬ」っていうコンセプトも分かってなかったし、「なんで?」ということだけがぐるぐる頭を回ってた。ぐるぐるぐるぐる。どこに疑問をぶつけていいのか、よく分からなかった。よくある表現かもしれないけど例えれば草原に咲いていた黄色いたんぽぽが、いきなりなくなって、どこに焦点をあてていいのか分からなくなったっていうか、そういう感覚。


少し時間が経って、彼の死は私のアメリカへくるモチベーションにつながり、現在までいたり心のささえとなってきたのです。8年も経つと、それはショックやなんで?という気持ちではなくて、ゆっくり感謝の気持ちに変わってきたんだと思います。「明日死ぬかもしれないんだから。」そういう気持ちに直面して、生きているということの価値観を改めて身に付けた自分だからこそ、今があると思うのです。あのとき、それほどに自分が生きているということを噛み締めるようなできごとがなかったら、私の生き方は全く変わっていたと思う。だから今は彼がいなくなったというショックよりは、彼の存在が自分と生きてきて、生きてこられたことに感謝というか。


感謝という気持ちは大きなモチベーションだと思う。
ご飯が食べられてよかった、ありがたい、と思えばとてもおいしくご飯が作れたり、食べれたりするし、自分のしている仕事が感謝されれば、次回はもっとがんばろうと思えるし、自分が生きてて良かったという感謝の気持ちがあれば、明日をもっと楽しく生きられる気がする


もっと色々なことに対して感謝の気持ちを大事にして、感謝されるような毎日を過ごせばけっこういいんじゃないの〜。(楽観)と、プラス循環の人生はこういう風に成り立って行くと思うわけです。身の回りにある当たり前のようなことたちに、感謝。

デジタルの喪失、一瞬にて

デジタル世界の悲劇、データの消去。Gone Gone ゴーン!!ゴォーーーン!っていうわけです。写真にしろ文章にしろ、メールにせよ、ショックじゃないですか。



(ショックを噛み締める間)



最近いたくお気に入りのgmailと、firefox。gmailに保存していたコンタクトリストが、突然行方不明、っていうか消えました。まるで風のように。  ひらひら〜。というわけで、リサーチャーとしては原因を調べようと記事を探したら、どうやら昨年末からそのような問題がレポートされてるわけで、

"Regretfully, a small number of our users — around 60 — lost some or all of their email received prior to December 18th. Once we found out about this issue, we worked day and night to confirm that only a few accounts were affected and to do whatever we could to restore as much of the users’ accounts as we could. We’ve also reached out to the people who were affected to apologize and to work with them to restore the email from any personal backup they might have."

どうやらメールをなくしてしまった人もいるみたい。っていうか。。苦情60件しか来てなかったの!?まさかその60件のうちの1人だったらかなり宝くじなんですけど。あー、明日宝くじ買うかな。


というわけで、教訓は、


「保存せよ。いかなるときにも、保存せよ。」

さくら心の俳句。

Saturday, January 27, 2007

Idiotarod!

NYのいいところは、馬鹿で純粋に楽しめるイベントが多いところ。今回のイベントは、"Idiotarod"(バカレース)もともとは、"Iditarod"というアラスカの犬ぞりレースをもとに再現されたニューヨークバカイベント版。



5人一チームで、一つのショッピングカートを持って、街中をレースします。途中で3カ所くらいチェックポイントがあって、ゴールにいくんだけど、お互い卵投げたり、マスタードやらビー玉やら誤情報を広めたりして、邪魔し合ってのレース。コスチュームもハロウィン以上の気合い。まじでバカ。





これは、本物の警察。(笑)すごい警察の量で、4回目くらいのイベントなんだけど、おまわりさんはぷりぷり。ヘリコプターまで飛ばして!そのために主催者は集合場所を寸前まで発表しない。一回発表したと思ったら、嘘の場所だったり、完全に警察なめられております。



コスチュームやパフォーマンスは審査にとても大事。っていってもなにからなにまで適当なのが売りのイベントなので、本当に全部適当。最高だ〜。



気温3度だっつーの。おなかも、毛も気にせず、ブリーフに帽子、最高だ。なんて馬鹿なんだ!!ラップダンスというグループで、お兄さん、(おじさん!?)5人組。日本でやってくれる人、なかなかいないだろうなぁ。笑




警察はバンで道封鎖してみたり。。。だから、今アメリカ戦争中じゃなかったっけ?(笑)テロ対策は大丈夫?




ハゲもデブも寒さも、問題なし。



バナナ!同僚バナナにバナナもらう。



レースの前の準備体操。作戦を練ってるチームも。かなりみんなのテンションは高く、キャラクターになりきってます。





ワンダーウーマンたち、なんかおかまっぽいひともまじってたけど。(笑)かなりのパワーで、女最高!みたいなことを叫びながら、最速スピードで他のチームを香水で攻撃しながら駆け抜けていきました。



バンドもいて、エンターテイニング。みんなそれぞれやりたいことやってはじけて、NYのいいところです。アンダーグラウンドなイベントにしては、参加者800人くらいは来ていた結構大きかった。おまわりさんは、「歩道にのらないと逮捕しますよ!」とメガホンで叫ぶ始末。



ピザハットの使い。





え!?北朝鮮参加ですか!? CIAチームともめ事が絶えなかった彼ら。6カ国協議については何も喋りたくないそうです。



とにかく、皆様仮装は気合いはいってる。ハロウィンのしきたりがある国、日本ではこうはいかないだろう。政治的思想を思わせるテーマや、70'sのアイドル、動物、宇宙飛行士、医者、ユニコーン。想像力 創造力豊かなニューヨーカー。見ているだけで楽しい!





タブーもなにもないアンダーグラウンドイベントは、かなりおかしくて、どうしようもなく立っているおまわりさんもおかしくて。来年は是非参加したいです。

パンダの名付け親になる。



ふぅ。しょうがないな。。パンダファンにはたまらない情報をsaknak Exclusiveとしてお教えします。中国に去年生まれた18匹のパンダたち!なんと、彼らに英語で名前をつけられるチャンスがやってきた。2月10日がしめきり。18匹も名前付けていいの!?(すでに名付け親気分)というわけで、今週末の宿題。どうしようかな〜。名前が選ばれたあかつきには、パーティーします。

#1 KOKO
#2 POPO
#3 PIPPI
#4 BOBO
#5 PURI
#6 KUMA
#7 PANPAN
#8 MUMU
#9 RICE
#10 GEORGE
#11MARA
#12 SAKSAK
#13 KIKI
#14JAPI
#15 FOO
#16HAPI
#17MUU
#18SHINFU

Wednesday, January 24, 2007

Creating, Reality?

Sometimes watching American TV show dinguses me so much, that they are so cheesy, they are so consumer orientated, they are very fake, they are boring! I guess it is all the same for people who creates something but a creation reflects the producer... I feel like creation definitely envisions who you are, what you think, what you believe...etc. When I bump into those programs is the time I promise myself that I won't produce something that I'd hate to watch.

TV is a very hard medium in a way that even I want to show the reality as it is, that is not allowed. It has to be visually effective in order to catch people's eye. Odd thing, reality does not necessarily look good enough on the camera. Sometimes bad things (like heavy frosted colorful cupcakes) look good, sometimes good things (like home made roasted lamb) does not look good enough but blunt on camera.

After one spent a day in "reality" nobody wants to turn the TV on and see the same thing that you went through, rather you'd watch something you have never seen, something that makes you feel wiser, something that makes you laugh, something that makes you cry...I feel that a lot of people turn TV on to watch unreal reality. More of,, dream world. Bigger boobs, masculine boys, miracle products, "top" chefs, good cops, heroes, riches...

TV can be a lot of things. I want to be on the positive side.

I say no.

I can't, I won't, I maybe not...
I have been saying no to all my friends and people for the invitation, not because I want to say no but my work keeps me long hours and I just cannot make it to 7pm dinner. It has been a great frustration for me especially I like to hang out with my friends. After I started working, I am losing a lot of friends, lots of hanging out time, losing patience, a lot of time tired,,,, and so on.

I think. You think. "What am I doing?" I fight. You fight. a little by little everyday to make more of ourself. I want to believe that what I do for living actually has meaning, I want to be responsible for what I am doing. I know in the head that all this weariness and long hours of working should not take away my life away, but it is tough to keep it sane!

I feel guilty when I say no to so many things, I feel guilty when I cannot do good at work, I feel miserable looking at myself tired. When it becomes like this, it is nooooo good. When you are not positive nor smiling or being unhappy, nothing good happens to you. I believe once you get out your feeling from deep inside, you should reboot your thinking and feeling. Always have a new phase, do not let the negative feeling gets you.

Tuesday, January 23, 2007

小さくても

NYはいよいよ本格的に寒くなってきました。チラホラ雪も降るよ
うになり、あわてて天気がNYCの演出に急いでいる、といった感じです。最近どどどっとプライベートでの仕事が増えました。仕事というか、好きでやってるだけなんですけど。(笑)
NYの友達が、料理本を出すのでイラストレーターの人をコーディネーションしたり、昔オレゴンで作っていたマガジンの「卒業生」特集インタビューに協力したり、友達のウェブにコラムを掲載する話など、なんだか賑やか~!こういう話ってどっといきなりくるんですよねなぜか。

でもこういうのは、人とのつながりを感じることができて、とても好きです。こういう話をきっかけに人との輪が広がったり、新しい出会いがあるのは、すばらしいです。ところで話は変わりますが、いまだにNYCで暮らしていて日々感動することがあります。それは「レディーファースト」。小さなことなんですが、男性がドアを取ってくれたり、席をゆずってくれたり、重い荷物を運んでくれたり・・。別に男性じゃなくてもいいんです。気が付いた人がやってくれれば同じことなんですが、やはりこの「レディファースト」精神は、アメリカならではです。エレベーターに乗るときも、電車にのるときも、一歩自分の気持ちを抑えて相手に譲るという行為は、とても気持ちが良いもの。

先日も、こんでいる電車に乗ろうとしたときに、どうぞ、と先に並んでいた男性がレディーファーストしてくれたときに、とても感動しました。私だったら自分が先に乗ることしか考えないなぁと。小さいことですが、自分がそういう感動を人に与えられるという機会はとてもすばらしい。自分が感動を産めるというのは、生きている意味があることだと思います。小さいことでいいから、自分のできることを、やるという一歩は、大事です。小さな一歩が他人に大きく影響することも、あるかもしれないです。

Saturday, January 20, 2007

横並び

テレビの仕事をはじめて、よく聞くようになった言葉、「横並び」。簡単に説明すれば、ニュースや情報など、各局が同じ情報を押さえていること、を表す。例えば、オートショーで大事なニュースが発表されたとする。1つの局だけニュースを押さえてなかったりすると、「各局横並びだったのに、あそこだけはずしたんだよね!」などと使われたりする。

どうやら、この「横並び」っていうのは日本のテレビではとても大事なようで、横並びに入らなければ叱咤されるし、横並びでも一番先にニュースを出すと、「うちが一番早かった!」といった具合になるのだ。確かに、報道すべきニュースを見逃してしまった意味での横並びできなかった場合は、叱咤に値すると思うのだが、なんでもかんでも横にならびゃーいいもんじゃないと思うわけである。以下共感したコメントを雑誌より。


「日本のイラク報道にもびっくりした。2003年1月のことだけど、当時の石破茂防衛庁長官がメディアの首脳陣を呼んで、「イラクは危ないから取材に行く な」と勧告したことがありましたよね。これはメディアの常識からすれば、ありえないことです。戦争には証人が必要で、その証人になるのがジャーナリストの 仕事であり、栄誉なんです。それを政府が報道機関に「イラクへ行くな」と言い、報道機関も反発しない。信じられません。フリーランスの日本人カメラマンと 記者の2人が現地で殺害されたときも、「戦争中のイラクに行くなんて狂っている」とか、「日本の外交政策を危機に陥れた」などという批判が渦巻いた。あれ にもショックを受けました。〜〜日本は民主主義の国で、報道の自由もある。なのに、日本の人々は「知る」という意味では与えられたチャンスの半分しか、つかんでいないように見えます。ア フリカや中東のニュースも万遍なく報道されるBBCやCNNと比べ、日本の報道は明らかに情報が偏り(かたより)すぎている。記事のラインアップを決める 権限が記者に与えられていないんです。署名入りの記事もまだまだ少ないし、日本の社会はジャーナリストにもっとパワーを与えるべきじゃないかな?」

byクーリエ ミシェル・テマン


この対談を読んで、「横並び」っていう言葉が一番に浮かんだわけです。この価値観は日本特有なんだなぁと。おそらく、他の業界でも同じような意味で使われるのではないでしょうか?使い方の例が他にもあったら教えてください。知りたい。

近年日本は、この美徳でもある「横並び」意識に、自分の首を絞めているところがあるような気がしてなりません。アメリカのジャーナリズムは、日本と比べるともう少し豊かだと思います。ジャーナリストの想像や、意見、憶測などがバラエティ豊かに飛び交っているというか、新聞や雑誌だけではなく、ウェブサイトでも人が自由に発想しているというところはよくみてとれます。

メディアは、画一的であってはいけないと思うのです。情報が溢れるようになった世の中で、事情に対する人の想いや、個人の考え方といった部分が伝える側にとってもっと重要になっていくべきだと思います。やっぱり情報は、「伝えたい」という動機があるからこそ、相手側に届くものだと思うし、情報の裏に人の想いがない情報っていうのは死んでいると同然なんじゃないでしょうか。死んでいる情報というのは、聞いた事がある言葉の繰り返しだったり、差し障りのない適当なものだったり、伝える側に突き放された情報だと思います。

もっとクオリティのある情報が溢れた国にしたいですね。

APISTA



12月頃に、仕事でAPISTAという雑誌の制作を手伝ったのですが、とうとう書店で発売されております。NY特集です。今回は、全ページのコーディネーションや取材のお手伝いでした。お買い求めください。(笑)

Thursday, January 18, 2007

高校のともだち



高校の同級生が、NYにいるということを、数日前に突然知って、会ってきました。7年ぶり?!お互い変わってなかったのですぐ分かったよ。きっと、ハナエに会いたい人もたくさんいると思うので写真をアップ。なんて懐かしいんでしょう!!!NY、せまい〜。よく人に会います。ほかにも実は私もNYにいるという人は、是非連絡くださいね。

飛んでいった、イタリアン風ジャンバラヤ

平日の夜は、料理できるときは料理するようにしています。料理するキャラに見られないですが、こう見えてよく料理をしています。今晩は、かぼちゃグラタンを作ろう!と思い立ったものの、帰ったらたまねぎはないわ、ごはんは微妙に余ってるわ、悩んだあげく決断力のある私は、カボチャグラタンドリア(しつこそう)を作る事にしました。簡単に言えば、かぼちゃの煮物×ラザニア×ドリアっていう感じです。かぼちゃの煮物と、グラタンが合うというのは最初は意外でしたが、これが、合います。料理を覚え始めた頃から、友人とご飯を食べる習慣があり、どうも未だに2人分というのがうまく作れない私、今日も各材料を多め多めに料理しているうちに、6人前は出来上がった。

もりもりっと盛りつつ、O型の威力を発揮した私は、「(グラタンが)盛り上がってて素敵!(ハート)」と、お皿に盛りつけた脅威のカボチャグラタンドリアをオーブンへ。チーズもかけて、いい感じ。15分ほどして、チーズがこんがりしたところでお皿を取り出し、おなかがすいていたのでミトンをはめたまま、いそいそとダイニングテーブルへ運ぼうとしたときにっ!今日は私、何を隠そうタイツをはいていたんですが、フローリングのうちの床、これちょっと滑るんですね。嫌な予感などする暇もなく、

すって〜ん

と転んだ私、カボチャグラタンドリアは4分の1床に、全身に、飛び散りました。



白い服じゃなくて、良かった。何よりも、全部こぼれなくてよかった。熱かったよ、グラタン。


そんなこんなで、ご飯食べたんですけど、予想よりはおいしかった。しかし、ご飯がトマトソースを吸収しすぎたためちょっと水分足りてなかったけど、なんていうんですか。イタリアバージョンジャンバラヤ、でした。みんなも盛り過ぎには気をつけて。

Tuesday, January 16, 2007

Andre Agassi

今日もクオートいってみよう〜!クーリエっていう雑誌のインタビュに載ってた。

「これまで20年間、ずっと上手くなろうと思ってテニスの練習に明け暮れてきた。どの分野であっても、成功する人は少なくとも2つの共通点を持っていると思う。1つは自分のベストを尽くすこと。もう1つは細部にもこだわることだ。~大切なのは、自分の血を沸き立たせること、時間を忘れて没頭できること、思わず体が反応してしまうようなことを見つけ、その興奮をどうすれば周りの人に伝えられるかを考えられることだ。何か大きなことをしようとか考えなくてもいい。大切なのは、自分の力を信じることなんだ。

どんなことにおいても、共通する事ってたくさんありますね。

Monday, January 15, 2007

ともだちとたまきこうじ



↑Oregon Friends大集合!

大学時代の友達が2人、週末にかけて遊びに来てくれていました。日本にいたときに少し会ったので、長らくぶり、という感じはしなかったけど、大学時代以来。会社もちょうど休みだったので、ゆっくりと友人とつきあうことができて良かったです。オレゴンの大学にいたときは、よくというかほぼ毎日のようにつるんでいた友達でした。家で鍋したり、ピアノの練習させてもらいにいったり、友達の誕生日ソングつくったり、学校のお祭りプロジェクトを一緒にやったり、雑誌を一緒に作ったりと多くの時間を一緒に過ごした友達なので、思い出がいっぱいです。あんまりお互い学校を卒業して「大人になった」っていう感覚はないけど、それぞれ遠いところに住んで、違う経験をして、久しぶりに思っていることや考えていることを聞いたり、ご飯を一緒に食べたり、街を歩いたり、自分が普段見ているものをみせたり、そういうなんでもないことが楽しかった。社会人になると、学生のような友達のできかたってなかなかないから、つまらない。色々な人に会えても、なかなかいい友達にまではなれない。だから、気心の知れた大学時代の友達に久しぶりに会えてなんかほっとした。

遊びに来てくれた友達のお母さんが、私に、といって玉置浩二さんのバイオグラフィーの本をくれた。友達が帰って、一日ゆっくりしたかったから、午後は一日本を読んで過ごした。仕事を始めて感謝してるのは、文章を読むのが早くなった。記事とかをプレッシャーの下でたくさん読むようになったからか、英語も日本語も大学時代より読むのが全然早くなった。日本語は特に早くなったから、300ページくらいの本なら1日あればだいたい終わる。というわけで今日は「たまきこうじの日」となったわけだが、私てんで邦楽を聞かないで生きてきたので、あまり日本の音楽を知らないのだけど、彼の本を読んでとてもたまきこうじの曲が聞きたくなった。大成功をおさめ、大衆カルチャーの最中で生きてきた彼の苦悩や、屈折はとても興味深かった。色々紹介したいクオートがあるけど、とりあえずこれだけ。

「玉置浩二のように明らかに飛び抜けた才能に恵まれた人物は世の中に多くはない。だが苦闘している最中の本人にとっては、才能などたいした意味は持たない。「自分にとって大切なものはなにか」という問いには、普遍的な答えなどありえず、人間ひとりひとりが自分の内面に向かい合いながら答えを探していくしかない。」

この本、志田歩氏という人がインタビューを通して書き上げた本なのだが、玉置浩二の人生エピソードももちろん面白いのだが、その合間にある志田氏の上記のような洞察深い文章が一層本を面白くしていたと思う。なんていうか、玉置氏の人生エピソードを通して、どの人にも置き換えられるように価値観を分かりやすく解釈してくれたというのでしょうか。

あと、もう一つ素敵だと思った文章

「優れた芸術作品の背後には、しばしば表現者自身も制御することができず、自らを蝕んでしまうほどの過剰なエネルギーが存在する。実際に天才と呼ばれるアーティストが、自らの肉体や精神の臨界点を超え、歴史的な評価を得る作品を生み出しながらも自滅して行った例は〜古今東西を問わず、枚挙にいとまがない。」


これは、産む苦しさのようなものがよく表現されていて好きだ。苦しみから産まれたものが一種の特殊な美を生み出すというサイクルは素敵だ。



映画で印象に残る一シーン、本で印象に残る一文、人生で印象深い一小節、そのひとつを起こすために、起こるためにある、周りのなんでもない事は意外に大事なのかもしれない。そのひとつが心に刻まれるために用意をすることは非常に意味がある。

Saturday, January 13, 2007



代休をもらい、久しぶりの連休。たまっていた雑用をすますべく、洗濯やら掃除、クローゼット整理して花植えかえてetc.今日の空は不思議でした。写真はブルックリン bedfordにて。寒さも厳しくないですが、日々気温は下がってきているようです。




手紙を書くのが好きな私は、よく郵便局へいきますが、いつも混んでいる。ここはMidtownにある24時間開いている郵便局で便利だけど、結局いつも列がある。平均で30分から50分は待ちます。日本じゃ考えられないよね。久しぶりにこの郵便局に並んでいて、建物が古くてとても大きいことに気づき写真をとってみた。窓口とかも豪華に金色のモールディングが施されている。窓口の人が一人カメラマンだったら、来る人来る人の写真と、何を送るのかインタビューして本を一冊作ってほしいと思った。NYだし、色々な人がいろいろなものを送ってそうだ。私の前に並んでいたひとは、チリ行きのでかい箱を送っていたし、後ろは韓国の留学生か、各国の人がどんなものを送っているか気になります。



そして連休だから、、っていうのは単なる言い訳で、買ってしまいました。Le Cruesetの鍋。赤!!たかっ!!!こんなの買ってる場合じゃないんだけど。。(笑)前から欲しかったので身分不相応の買い物をしてみました。仕事で鍋料理を取材していたせいもあって、彼女の最初の料理は鍋でした。今夜はオレゴンから友達が2人来るのでこの鍋でフィリピン料理を作ります。鍋の良さの方はのちほど・・

裏。





ロケハンののち、いくつかのお宅を訪ねることに。イタリア人のブランチに撮影へいってきました。なが〜いテーブル!たくさん集まってご飯を食べることはしばしばあるそうで、



見よ、このアパタイザー。他国のどこも勝てない、とおもいました。シスリーから届いた新鮮なチーズ、モッツアレラにサラミオリーブ、グリッシーニにはプロシュートが巻き付けられ、アーティチョークが鼻歌を歌っている・・。イタリア人に生まれて良かったと思う瞬間です。



トマトソースもワインも自家製って気合いが入っている。日本でいうぬか漬けと味噌っていうところ?トマトソースには贅沢3種類のお肉が入り、グツグツグツグツ。おじいちゃんは横でじゃがいもの皮を剥き、お兄ちゃんはバケットを切り、妹はグリッシーニをプロシュートで巻き、これがイタリアの家庭の風景でしょうか。ご飯の前には、親戚一同でアマレットのようなものをショットしていました。さすが・・




今回はUN 本部の前から中継。こたつを作って目の前にど〜ん。通りすがる人は不思議な顔をして見ていましたとさ。

Friday, January 12, 2007

世界の食 in New York

また仕事が一段落しました。今回は、鍋に変わるような世界の食を探すというテーマでNYを探検していました。普段キッカケがなければ行かないような街や人に会ってきました。ロケハンでだいぶ写真をとったので、もったいないのでおすそわけ。こうして並べてみると、面白いものです。



まずはご近所中国の火鍋。ここのお店のは非常に辛いスープが片側。赤唐辛子がこれでもか!というくらい入っていました。最後の方は、普通のスープもピンク色になりだして。。味覚が麻痺するような辛さでした。日本の鍋とは食材がてんで異なり、メニューにはカエルの肉やら、ラムやら、凍った豆腐やら色々並んでいました。オーナーは「ニホンジン、タクサンクルヨ!」と言っていました。やはり日本人は鍋がお好き。隣ではトルコからの観光客、目の前ではロンドンからの観光客が四川料理を楽しんでおり、まさに世界の玄関、NY。






続いてはロシア。ブルックリンの南の方には、ロシア人、ポーランド人の街があります。売店で売られている新聞は、英語ではなくロシア語。海の近くで暮らしている彼ら、寒い国ということであたたかい料理が見つかるのではないかという期待をもち、ロケハンへ。上の写真はキッシュのような、グラタンのような、料理と、マッシュルームスープ。素朴な家庭料理の味がしました。レストランではみんな真っ赤な飲み物を飲んでいて、何かと思ったら紅茶にジャムをたっぷりいれたロシアンティーだそうで。




こちらもロシア料理、砂肝シチューです。(和訳すれば。。)ここらへん、こういう雰囲気のシチュー「グラシュ/グヤーシュ」というものが多く、ポーランド、ウクライナ、ロシアレストランではよくみられる料理のようです。



普段赤いボルシチ、「緑のもあるよ。」という噂をたどり見つけた海沿いのロシアレストラン。グリーンボルシチ、メニューにあるじゃないか。オーダーすると、緑というよりは黄色かったけど、中の野菜に緑の野菜が豊富に使われているらしく、見事グリーンボルシチ。味は、赤いのとほとんど同じでした。




こちら、先ほどのシチューとそっくり。しかしこれはポーランドのビーフグラシュ。なんか、質素なシチューという感じでした。




今回は、ロケハンの中で数々のカルチャーショックに出会いましたが、まずこれは驚いた。ポーランドレストランで出て来た、豚の足煮込み。要するに手ぴち?沖縄の郷土料理の雰囲気です。豚の手の皺がリアルに見えていたのですが、勇気がなくてその写真は撮れませんでした。コラーゲンたっぷりという感じで、味はよろしく、お肌によさそうでした。隣にあるのはポテトニョッキのようなもんです。







牛の胃袋(内蔵)を食べる文化が結構あるというのも発見でした。上は、ポーランドの胃袋スープ、(私メニューの和訳センスない?)下は、メキシコの胃袋煮込みタコスです。このタコスは私も初めてみる種類で、メキシコにいけば結構あるらしいのですが、NYでも食べられるところはここぐらいしかないらしい。このレストランはぶらぶら歩いていてでくわしたところで、24時間営業のタコス屋さん。誰も英語を喋れなくて、苦労しました。お客さんに訳してもらったり、ね。。





スパニッシュハーレムにある駅をおりた瞬間に、見知らぬお兄さんに「何を探してるの?」と言われて「おいしいメキシカン」と言ったら速攻連れて行かれた近所のレストランで食べたハラペーニョチキンスープ。チキンでだしをとる、というのは世界共通。メキシコらしくハラペーニョが効いているチキンスープといったかんじで特に驚きは、ナシ。



これは個人的に行ったときの写真だが、コリアンタウンにあるチキンレストラン。フライドチキンがおいしくて有名。Blue Moonというベルギー系ビールと飲むと最高。しっとりとしたチキン、外はぱりっと、白いご飯はアジア人には欠かせません。男児は大好物。



見たことも聞いたこともない料理にも出会いました。これはガーナの料理。意外にも、スープやシチュー系の食べ物がたくさんあって、それをごはんに盛って食 べるのが定番のよう。陽気なガーナ人、祖国は海が近いとあって、「ティラピア」という魚をよく食べるようで、魚を揚げたスープ、ピーナッツスープ、ほうれ ん草のシチュー、ラムのシチューなど色々とありました。



ガーナ、豆ごはんみたいなのもあったんだけど、これが人気らしい。ガーナの白米とも呼べよう、「フフ」名前がいいよ、名前が。「フフ」。食感はもちのような感じで、味は、無味ではないのだが、ほかに経験したことがないので表現できない。。これとスープをあわせて食べる。ガーナの料理は、意外にも結構辛いものが多いようだ。やっぱり日本人としては白いご飯が恋しくなりました。



普段歩かないところを歩くと、異様なものが目に飛び込んでくるわけで。スパニッシュハーレムを歩いてでくわした"Cuci Fritos"。なにやら怪しげな料理が並んでいる!ということで勇気を出して中へ。




絶叫と絶句が一度にやってくるとはこのことでしょうか。茹だったバナナ(プランテーン)バナナにつまったひき肉、おどろおどろしい色をしたソーセージ。素直にまずいと思ったのは、人生でそうそうありませんが、ゆでバナナ、ごめん。芋よりもまずかったよ。のちのち調べて分かったのは、これはプエルトリコのソウルフード。プランテーンをたくさん食べる彼らは、ゆでたり焼いたり、じゃがいものように食べるらしい。「黒いソーセージは豚の血ソーセージ」ちなみに、このお店、お客さんが絶えません。近くのお客さんと話してみれば、ここはなかなかイケテルCuci Fritosらしい。価値観がひっくり返されました。





インド人の多く住む町、ジャクソンハイツへも出向きました。街の洋服屋さんではサリーがうっていたり、シルクの生地屋さんが並んでいたり、町並みもすっかりインド。スーパーでは何に使っていいのか分からないものが多々、スパイスは激安でした。



パキスタン料理。ここはタクシー運転手に人気というお店。2種類のカレーとナンかご飯で$5.5くらいだから安い。インド料理よりあまり辛くなく、日本人の口にもよく合うことでしょう。ナンもその場のかまで焼いてくれて、うぅ〜、おいしい。



最後に、アメリカ南部の代表料理「ケイジャンフード」。ザリガニを使った料理です。初めてザリガニに挑戦しました。冷凍ザリガニはだいぶ臭いそうですが、ここは生きたザリガニをとりよせて作っているらしく、匂いはしないし、味もエビとかにの間といった感じでしょうか。これはぴりっとスパイスのきいたザリガニソースパスタ。おいしかったです。


と、食の文化は奥が深いですね。普段行かないようなところにあえて行くのは非常に面白いです。改めて驚いたのは、色々と英語の通じない地域がNYでも多いということ。チャイナタウンも、インドも、メキシコも、英語喋られない率がかなり高いです。そのため取材交渉は難航でした。(笑)どのレストランも、その国のお客さんであふれていて、やはり日本人が梅干しや納豆を恋しくなるように、どこの国にも「家の味」があるんだなぁとしみじみ感じました。食べ物の記憶や嗜好は、体に染み付いているものです。NYに次回来たときはこんなローカルな世界も覗いてみてはいかがでしょうか。プチ海外旅行気分満点です。

Monday, January 8, 2007

Time is flowing outside of ziplock

It has been busy as hell again for my life. I like working but I don't like working too much... You start losing what you are living for. Although I have been busy, I had a couple of good news to keep me going this year, very beginning of 2007.

There were so many surprises in 2006 but I guess it will continue this year also. One of my best friends in Oregon is getting married! I have lived with the couple for a while in Oregon and I was very excited by the news... they are together for almost 5 years (I believe) and it finally happened. I was very surprised in a good way and really happy for them, it is a strange feeling though that my close friends are getting married. Since I have been close with the friends, I feel as if this event were happening to me and I have never felt this happy for the engagement news. I think this is because I shared some moments with them, I peeked some of their history and probably I feel closer than anybodyelse.

I used to think getting married is not the goal and just part of the life, and I still think so ... but this friends' engagement gave me a chance to think a little differently on marriage, I think. It just purly I felt it is beautiful and so much happiness that two person decided to be responsible for each other and willing to spend rest of life after overcoming many up and downs, hardships and joyful moments..... or I just live in my fantasy world :P

Today I had a news that one of my ex boyfriend from high school is now married and have two children. It was a while since I heard from him last time about his personal life so it ofcourse surprised me and from the moment that I read his e-mail, he transformed from my "ex" to a "father of two daughters". What a change! I felt like my world is going upside down.

I definetly felt that time is flowing and at the same time some moments are still fresh to me as it has been frozen in my heart. It is a feeling only you can feel it as you get older. Sometimes commitment is beautiful. It is fun to float around but one will find out different gems from commitment. Very exciting new year, waiting for more surprising news....

I want to congratulate both of my dear friends for their new page of life.

Wednesday, January 3, 2007

共有欲

"How was your day?"一日に一回は必ず聞かれる。まぁ、深い意味はなく、これもまた、「元気?」や「久しぶり!」くらいの挨拶程度の意のことが多いのだろうが、英語を喋っていると、いまでも会話を意識して分析してしまう癖がある。「この人 やたらこの言葉使うな。」とか「この人これ本気で言ってないな。」とか日本語よりも客観的に相手の台詞を受け止めてしまうときがある。

言葉に限らず、街を歩いていても目にする光景を第3者として受け止めてしまうことがある。それは日本人としてでもなく、ニューヨーカーとしてでもなく、自分として、観察しているわけだが、日本人でもアメリカ人でもない自分はなんだか自分の中では「第3者」なのだ。

先日の日記に対して、友人からメールが来た。「誰に見られているかよく分からない恐怖感を拭って正直に気持ちを書いていきます。」とのような具合のことを書いた文章についてで、彼女はブログやソーシャルネットワーキングをやっていて、そのプレッシャーに耐えられなくてすべてをやめた、とメールに書いてあった。もちろんしばらく自分の思うことを書いて来た私も、幾度となく同じことを思ったことがある。「ブログ、やめよう。」と。

初めて自分のことをウェブサイト書き始めたきっかけは、アメリカに来て、日本にいる友達に自分のやっていることや考えていることを伝えたかったからだ。最初は手紙や、ファックスを書いていたわけだが、(当時はまだメールやらブログやらそんなに普及してなかったからね。6年くらい前か。)同じことを何度も書いているうちに、面倒くさいのと、自分の書きたいことに対する情熱が薄れる感覚がいやで、ウェブサイトを使うようになった。

ウェブで自分が思うことを書くことの便利さは、誰でも簡単に見られること、時差がないこと、写真も簡単にシェアできること、見たい人が自由に好きなときに見られること、色々な人の感想をもらえること。ウェブで書き始めてジレンマを感じることは、読み手を意識するようになったこと、自分の良くないと思う部分もよく見せて書こうとするようになったこと、心のこもっていない記入をするようになったこと、などだ。

「見られたくない人に見られている。」と友人に言えば、「読んでもらいたくて書いているんでしょう」と一蹴されるし、「書くのをやめる。」と言えば、「楽しみにしているから続けて!」と励ましてくれる友人もいるし、そんな狭間でなんだかんだずっと書き続けて来た。その根底には私の「共有欲」があったからだと思う。

ウェブにしても、紙にしても、映像にしても、何かしら私は自分の言いたいことを綴り続けて来た。それの完成度はまた、棚にあげつつも、(笑)その行為をgive upしたことはないし、give upするすれすれで共有欲にひっぱられてきた、と言った方が正しいか。私の場合は常にアウトプットしてることで、自分がホッとできる居場所を確保できるというか、落ち着く。

昨年末から意外な人に、「ブログあるんだって?」とか「ブログ読んでます。」と言われる機会が重なり、ちょっと心にずしんと重しがきたわけです。私は結構忘れっぽいので、あまり普段はそこまで読者層を意識してものごとを書かないわけですが、今回はあまりにも意外な読者層がいたので、ちょっと脳みそがうにょうにょしたわけです。しかしながら寒空の道をぼーっと歩いてたらば、何を書こうが文字は「私」の一部なわけで、もっとリラックスして書けばいいじゃ〜んというなんともお気楽な結論にたどり着いたのでした。

どんなアートにしても、表現にしても人は他の人に触れてほしいからつくるものだと思うのです。ストリートアートでも、音楽でも、文章でも、料理でも他の人に触れられること、はじめて自分以外のものとコンタクトできることに喜びがあるのだと思います。だから、どうせ産むのなら気取るのではなく、自然でいるのがすくなくともサクラスタイルかな、と思ったのでした。う〜ん、勝てない、共有欲!

Night at the Museum


Ben Stiller主演のNight at the Museumを見ました。ニューヨークが舞台で、ニューヨークにある自然科学博物館で話は展開します。夜になると博物館中のろう人形や、スカルプチャー達が生き返るというコメディなんだけど、見慣れたニューヨークの景色がぎっしり。この仕事をはじめて映画を見るたびに思うのは、「よくこんなところで撮影許可とれたなぁ。」とかそういうことなんだけど、(笑)要するに映画はお金があるんだけどさ。普段テレビや雑誌じゃ入れないところも映画ではバンバン出てくるものね。うらやましい限りです。

ニューヨークは歩いているとしょっちゅう街角で映画を撮影してるところをみるけれど、本当にArtが奨励されているというか、「映画」のために公園や歩道が封鎖されていたり、建物が借り出されたり、なんて楽しい街なのでしょう。映画館で見るニューヨークは夢がつまっています。いつも自分が歩く道をスパイダーマンが走って行ったり、ベンスティラーがコーヒー買ってたり、自分の「現実」と映画の「架空空間」が大スクリーンの中で混同していくのは、見ていてとてもわくわくします。

日本でももっと映画を!っていうわけではないけど、ニューヨークはそういう意味で「街づくり」が上手だと思います。NYは汚くて臭いけど、アートが大事にされる街っていうのは、小さい面でも、大きい面でもいろいろな人のクリエイティビティが尊重されているっていうことで、作る人も受け取る側も刺激を与え合い、生き生きしているのかな、なんていうメルヘンな想像をしながら床についたのでした。

Monday, January 1, 2007

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。いよいよ2007年到来です。毎年この時期になると同じ話を書くのですが・・saknak.comが始まったのは、およそ6年前。当時は"Heads Up"というウェブサイトでした。アメリカのオレゴン州に留学したときに、何を思い立ったか年末に「ウェブサイトを作るっていう抱負を達成していなかった!」と、一日かけてHTMLの勉強をしたのでした。当時はdream weaver などのソフトウェアがあるなんて知らず、コードを勉強していたなんてなんておタクな少女だったのでしょう。それからあっという間に世の中便利になり、ブログなんて出てきて!形を変えつつも続いて来たsaknak.comどうも愛着が湧いてしまってやめられません。着実にファンを増やしながら(?)いつも読んでくれている皆様ありがとうございます。

今年の目標は動画をアップできるようになること、(今まで面倒くさいのでしていないのですが、昔はしていた時期もあった。)写真をもっとアップできるようになること、誰に読まれているのかよく分からないプレッシャーを拭い、正直な自分の心境を綴って行くことを誓います。(笑)今年もよろしくお願いします。暖かいニューヨークより愛をこめて。