FRBのチェアマンである、バーナンキ氏が、カリフォルニアの大学の入学式で喋ったスピーチをたまたまみかけたんだけど、素敵だったので、長いですが、日本語訳します。日本の人にも読んでもらいたい。(意訳&多少省略だけど許して)
「幸せの経済学」
今日は入学式でスピーチできることを嬉しく思います。(省略)入学式のスピーチは、いつも何をトピックに選んでいいのかいつも困ります。私は経済学者ですが、経験から言うとこういうお祝い事で普通は経済学の話をしてもどうも受けません。(なんでか分からないですが!)そのかわり、そういう機会ではみなさんが個人的に共感できて、インスピレーショナル、刺激に成るようなそういう話を望んでいると思います。なので、今回は経済と、社会学の面から個人の幸せはどういう風に形成されるものかということを、そしてまたそれが経済の政策、個人が大学を旅立ち、決断をして行く時にどういう風に関わって行くのかということを話したいと思います。
どうして幸せについて話すのか?それは米国のファウンデーションでもある、独立宣言にもわれわれのミッションとして書かれているからです。アメリカ国民は誰にも奪う事ができない「人生、自由、そして幸せの追求」という権利をみなさんが持っています。トーマス・ジェファーソンは、「幸せの追求」というのは非常に重要な要素であると考えていました。今日は、それが実際にどういう意味なのかという事を考えてみたいと思います。
質問を考える際に、リサーチャーというのは幸せというものを2つのコンセプトに分けて考えます。「幸せ」と「人生における満足感」という2つです。「幸せ」というのは、短期間の気持ちであって、それはその人の感情や、外部的要因、例えば今日が晴れてるのか雨なのかといったような事にも左右される事です。「人生における満足感」というのは、人が満足して生きていると思えるもっと長期的な状態を指します。幸せと人生における満足感は、似ているようで、そうでもないこともあります。これについてはまた後で詳しく話すことにします。
想像がつきますように、心理的にいう「幸せ、満足である状態」ということを話す時に経済学者はよく、物質的豊かさに重きをおいて話す場合があります。これが、経済政策者が、経済成長をつねに主張する理由です。国が豊かな程、一人当たりの物質的豊かさは向上します。個人的な収入が向上する事は、誰もが望む、向上した生活水準を手に入れる事につながります。
この典型的で伝統的な経済学者の幸せに対する考え方は、皆さんが思っているよりは狭くて偏ったものではないんです。もしも、あなたの人生の価値が物質的豊かさ、家を持つ事や高級車を持つ事以外で定義されるとしたら、きっと皆さんは「健康」というでしょう。しかし少し考えてみると、経済の発展している国は、貧困の国に比べて、医療へむけたリソースも豊富に持つ傾向があり、良い栄養や衛生、仕事場での安全性や長寿の人生、乳児の死亡率も低い傾向にあります。米国も例外にもれず、時とともに経済が発展するに寿命は伸び、ますます長生きできるような環境も整って来ています。
もう一つ、人々が大事にしている事は、きれいな環境でしょう。きれいな空気や水は、政府の統計であり、経済成長を示すGDPには要素として含まれていません。(それを試みようとしている人もいますが)しかし繰り返しになりますが、発展した国の方がよりリソースを多く持つ事で、環境を健全に保つ事を可能にし、貧困の国よりも良い空気や水を手に入れる傾向があります。お金持ちの国はさらに、人々が余暇の時間を多くもつ傾向に有り、又肉体的にそれほどきつくない仕事や、面白いと思える仕事をする傾向に有ります。そして、人々はよく旅行をし、アートや文化的なことにも投資をできる環境にあります。これらは、様々な物質やサービスを提供することに深く関係しています。だから政策者はいつも雇用の創出や経済成長といったことを訴えます。価格の安定性、最大の雇用の創出はつねに議会がFRBに求めている2大課題といって良いでしょう。そして本当にインフレーションや、失業率は人々から幸せを奪うといったことは、マクロエコノミックスの条件と重なるということはリサーチャーの研究結果としても発表されています。
(疲れたので続きは又明日。)
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