Tuesday, October 14, 2008

ノーベル賞は日本人のもの?呑気な日本

ノーベル賞のニュースが日本のメディアを賑わしている中、受賞者のプロフィールを読んで一番最初に思った事は「なんだ、みんなアメリカで活躍してる人じゃない」と思った。南部さんはシカゴ大学名誉教授、下村さんはボストン大名誉教授。日本のメディアが「日本人ばんざ〜い」とあっけらかんに喜んでいるのがバカみたいに思えた。だって、彼らの活動拠点や学問を深めた場所は、日本じゃない。たぶんきっとアメリカ国籍なくても、アメリカにいる方が長そうだし、評価されてそう。なんて思っているところにやっぱり同じように考えている人がいた。

「今回の日本人受賞者は、日本の報道によれば4人、日本国籍を基準とすれば3人。しかし、本来は、受賞の対象となった研究業績がどこで生まれたかを基準とすべきであり、そうであれば「日本」の受賞者は2人となる。逆に、外国人が国内の研究拠点での業績で受賞すれば、日本の受賞にカウントすべきだろう。」(日経 今川拓郎)

上記の記事では日本からの優秀な人の流出について書かれていたけど、本当単純に喜んでる場合じゃないよね〜、という感じだ。大体アメリカ住んでいる時間が長い人を「日本人」呼ばわりするところからしてglobalizationに取り残されてる感じがするよ。やっぱりidentityがどういう風に人と関わってくのかっていうのは、日本人しかいない日本で暮らしていると、分からない。アメリカにいれば日本人の顔して英語しかしゃべれない人もいるし、アメリカ人の顔して関西弁を喋る人もいる。(そこのアナタ。)


下記の記事なんて、本とあっけらかんって感じで、めでたいのはいいけど、、、ノーベル賞並みの人が活躍する場、成長する場が日本にはないっていうことを棚に上げた良い例の記事だわ。

「株暴落と国際金融危機に不安が高まる中、今年のノーベル物理学賞、化学賞に日本から一挙4人が選ばれ、しばし国中が沸いた。権威のある科学賞はほかにもあるが、ノーベル賞は日本人を元気づける格別の賞のようだ。元をたどれば、日本人初となった湯川秀樹博士の受賞だろう。日本人がまだ敗戦に打ちひしがれていた1949年。「湯川博士にノーベル物理学賞」のニュースは、電撃のような感動を与え、復興に取り組む日本人に大きな希望と勇気をもたらしたといわれる。」(読売新聞)


だから、留学生が増え、意味もなくガイシケイで働きたい若者も増え、無理に海外へ行きたくない人を駐在させるような日本の社会ができあがっていくのだ。国際音痴日本。いいところも一杯あるのに。

2 comments:

Unknown said...

私も同じような事思ってたよ。

私もアメリカ生活の方が長いけど、もしノーベル賞とれても(あり得ないけど)「なに人」はさほど気にしないかなぁ。母国でも喜んでくれるのはうれしいかもしれないけど、自分を育んでくれたのは両国だから「日本人を連呼されてもねぇ」ってな話になるかもね。両方でいいや〜ん?あ、いい加減な意見?

それよりも、そんな優秀な人達が日本からどんどん出てしまう事は問題なのでは!?日本の社会じゃ個人の努力が認められにくいって事じゃないの?

う〜ん。とにかくすばらしい研究(トピックが壮大すぎて全く意味解らなかったけど)ありがとうございます。

saknak said...

おねーちゃん>そうだね、なんか日本はここぞとばかり「日本人快挙!」みたいなトーンがむなしいねぇ。優秀な人たちが、優秀ていうかさ、違う価値観持ってる人たち、が日本にいないっていうのは良くない事だね。取り残されて行く日本