日本人と外国人、ストレートとゲイ、現地採用と、駐在員。地方と都会、報道と制作。女性と男性、若者と年配。性格が悪くて仕事のできる人と、仕事ができなくても人格のある人。リベラルとコンサバ、現実と理想。
ニューヨークで日本の企業で、女性として現地採用として働いていると、色々なボーダーラインに出会う。それが対立だったり、それが理解だったり、それが発展だったり、それはケースバイケース。どんなところでどんなアイデンティティを背負って生きていても、生きている以上はボーダーラインに出くわす。
慰安婦問題だって。イラク戦争だって。オフィスポリティックスだって、家庭のけんかだって。どこにでもボーダーラインはあって、自分の居場所があって、自分のいいわけがあって、守るべくものがあって、戦うべくことがある。
近年、世界が狭くなって、「自由」な世界ができてボーダーラインは必然と増えた。自分のラインを再確認するような世界になってきた。自分はどうあって、何を守り、何を目標にし、何を正しいとするのか?自分とは違うものとどう接し、どう受け止め、どう一緒に生きて行くのか?
グローバル化とか、国際化とか簡単に使うようになったけど、それって絵に描いたような平和じゃない。"It's a small world"のように世界の子供達がにこにこ手をつないで地球を囲っている場合でもない。自分の意見が相手を侵略し、相手の価値観が自分を脅かすそういう時代だ。
だけど誰も怖がって生きたいとは思わない。脅し合って生きたいとは思わない。
だけどみんながどこかで描いている理想がある。
だけどみんなが唱える世界的価値観がある。(Universal Value)
「国際化」にポジティブなイメージがあるのは、それは人がどこかで違いを超えて、葛藤を超えてその先により望ましい状況があると願うからだろうか?それは願いだけなのだろうか?想いだけなのだろうか?形にはならないのだろうか?
分かり合えない人もいる。心に届かない人もいる。自分の親戚を殺した敵を愛せない人もいる。おとぎ話のような完璧な結末はこなくても、あきらめる事だけは許せない。沈黙と言う努力も、私にはできない。
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