Sunday, March 4, 2007



今村昌平監督の「復讐するは我にあり」をブルックリンのシアターで友人に勧められて見に行きました。ニューヨークのシアターでむか〜しの「松竹」ロゴを富士山背景に見るのは、なんとも不思議な気分で。ニューヨークではどこの国の映画でも、良い評価の映画は時代やトピックを問わずにシアターでよく上映されています。ほんと、映画が好きな国だからできるなっていう感じ。

アメリカで日本の映画を見ると、日本らしさが際立って見えます。スクリーンの中にある温泉街、背中を流し合う親子、下町商店街のデコレーション、お母さんの着ているもの、野菜畑、家族のあり方、近所との付き合い、ごく普通の暮らしの中に、よく日本やキャラクターの個性が映し出されていて素晴らしいと思いました。監督は「日本らしさを出そう」と意識して作ったのか分からないですが、日常のなんとなしの会話や仕草や、感情の変化等をつぶさに表現したことが、忠実に日本らしさを表現する事につながったのだと思います。テーマの中に日本のキリシタンというのがあったのも、面白かった。話がごく普通の生活の目線で、殺人がおきていったり、それぞれが複雑な心境や悩みを抱えつつ等身大に葛藤して、時には傷つけ合ったり自暴自棄になったりそれでも離れられなかったり、そういう人間くささがよく描かれていました。

ちょうど、最近話題のリリー・フランキーさん著、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を呼んでいまして、それもこう人間臭い本。まだ半分しか読んでいないんだけど、格好つけないで赤裸々に綴られる彼の家族体験は非常に興味深い。どんな家族でもいろいろなストーリーがあって、個々の関係が絡み合ってあるわけだけど、自分の家族との関係を正直に書き出すのってとっても難しいと思う。向き合って認める事は簡単にできそうで意外にできないもんだ。

「人間が生まれて、一番最初に知る親子という人間関係。それ以上のなにかを信じ、世に巣立ってゆくけれど、結局、生まれて初めて知ったもの、あらかじめ、そこに当たり前のようにあったものこそ、唯一、力強く、翻る事のない関係だったのだと、心に棘刺した後にようやくわかる。」

「こんな時代の若い奴らに、自分自身の心の奥から、熱く滾り魂の蛇口から作りだされる目的なんかありはしない。たとえそれを「夢」という言葉に置き換えて、口にする奴がいたにしても、その「夢」の作り方は、そのへんのテレビや雑誌のページにとりあえず、自分のくだらなさを貼りつけただけ。風に吹かれて足元に巻き付いてきた、ライブのフライヤーに、ただ勘違いしただけ。〜東京に行けば、なにかが変わるのだと。自分の未来が勝手に広がってゆくのだと、そうやって、逃げこんできただけだった。」

ニューヨークで忙しさに揉まれ、仕事に流される毎日は、自分を見失いそうになって不安になります。

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